*オーラの泉 スピリチュアルゲスト 海老名 香葉子さん
海老名 香葉子さんは、3月の東京大空襲のお話を聞かせてくれました。
美輪さんは、10才の時の、原爆の体験を聞かせてくれました。
美輪さんのまわりの人は、ガラスの破片が刺さったり、
皮膚がむけたりしていたのに、美輪さんとお手伝いさんだけは、
奇跡的に何も刺さっていませんでした。
怪我もしていませんでした。
海老名 香葉子さんは、1945年、終戦の年、小学校5年生でした。
ひとりだけ、疎開をしました。
海老名 香葉子さんは、釣り竿職人のお父さん、おかあさん、
3人のお兄ちゃんと、4才の弟の8人家族で、育ちました。
中学一年(13才)のお兄ちゃんが「みんな死んじゃった。ごめんね。」と
海老名 香葉子さんの疎開先に、言いに来ました。
海老名 香葉子さんは、3月の東京大空襲の時、
「東京がやられているぞ」と言う大人の人の声を聞きました。
操縦をしている人の顔が見えるほど、低空飛行で、
操縦している人は、笑いながら爆撃をして来たそうです。
江原さんは、おばあちゃんから、話してきかされていましたが、
「操縦している人が、笑っていたなんて、見えるはずがない」
と思っていたそうです。
でも、真実でした。
焼けた家の前で泣いていた時に、
サツマイモをくれた黒い服を着た男の人は、亡くなったお父さんです。
*上野 慰霊碑(2005年)
「頑張って慰霊碑を建ててくれ」と、白い着物を着たおじさんが立った。
(この男の人は、成長した弟さんです。)
(亡くなった人は、成長して見せにきます。)
彫刻家の先生の手が腫れてしまったのに
海老名 香葉子さんが念じたら腫れが引いてしまったり、
電動のこぎりが胸に刺さったのに
胸ポケットに入れていたラジオで助かったり、
不思議な事が続けて起こりました。
*林家三平さんのお母さんと、林家三平師匠
二人羽織のように、手伝ってくれていました。
*亡くなったお父さんと、お母さん
置いて行ってごめんね。
家族の絆を大切にしてください。
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