オーラの泉 スピリチュアルゲスト 寿美 花代さん
寿美 花代さんは、1963年昭和38年に高島忠夫さんとしあわせな結婚をした翌年に悲劇に見舞われました。
1964年昭和39年8月24日午前3時頃、お手伝い・Y子(当時17歳)が長男・道夫ちゃん(当時、生後5ヶ月)を浴槽に沈めて殺害した。
寿美 花代さんを疑い追求する警察に対して、高島忠夫さんは、とても腹を立てて大声を出そうとしました。
どうしてこんな目に遭わなければならないのか?
「ママ助けて」と言われたり、赤ちゃんの泣き声を聞かされたりする嫌がらせの電話が2〜3ヶ月も続きました。
寿美花代さんは、何度も死のうとしましたが、死ねませんでした。
それは、道夫ちゃんが「死んではだめだよ」と守ってくれていたからでした。
長男 道夫ちゃんの命日には、次男の高嶋政宏さん、三男の高嶋政伸さんは、ふしぎな体験をしました。
次男の高嶋政宏さんは道夫ちゃんの声を聞き、三男の高嶋政伸さんはお線香をあげてお参りした後で手の指が金粉でおおわれました。
どちらも道夫ちゃんからのメッセージでした。命日の日付で合図することは、よくあることだそうです。
宝塚時代
寿美花代さんは、1960年宝塚時代には、華を持った男役でダイナミックなステージでファンを魅了しました。
「華麗なる千拍子」の舞台では、7m下の奈落に落ちるという大事故に遭いました。
ところが、その1年前に亡くなっていたお母さんに抱きかかえられる感覚を感じて、フワッと降ろされたので
一切どこにも怪我をしないで、次のシーンに出て行かれたという不思議な体験をしました。
こちらもお母さんと道夫ちゃんが守ってくれたからでした。
高島忠夫さんのうつ病
高島夫妻は『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していました。
『ごちそうさま』の司会交代や高島忠夫さんの母親が入院したことなどから、1998年に高島忠夫さんは、重度のうつ病を発症しました。
看病のため、寿美花代さんは熟睡できない日々が続きました。
包丁や凶器となる物は全て隠し、お風呂の湯も抜いて、自分が守らなければ、という想いから夫を支えました。
高島忠夫さんの母親の死も知らせず、母の日に二人の息子から贈られた花束も隠して、高島忠夫さんが母親の後を追わないように高島忠夫さんを守りました。
次男の高嶋政宏さんと三男の高嶋政伸さんは、ごくごく親しい親族にまで「以前の明るい父は想像するな」「野次は飛ばすな」と一人一人に確認して、リハビリのためのコンサートを開いて、高島忠夫さんにピアノ演奏と歌を歌ってもらいました。
2007年春から完全復帰して家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っています。
「うつ」への復讐
何年もずっと一緒に生きていきたい。
シャンパンで乾杯をして、二人で仲良く生きていきたいと語っていました。
寿美花代さんの前世
ご夫婦は、前世では、高島忠夫さんが女性、寿美花代さんがそのパトロンという恋愛関係、
道夫ちゃんは前世では、生まれて来れなかった二人の子どもでした。
亡くなった道夫ちゃんの魂は家族の絆となって今も生きています。
寿美花代さんのお母さんと一緒に高島家の寿美 花代さん、高島 忠夫さん、次男の高嶋政宏さん、三男の高嶋政伸さんを見守ってくれています。
1964年昭和39年8月24日午前3時頃、東京都世田谷区の俳優・高島忠夫(当時34歳)の長男・道夫ちゃん(当時、生後5ヶ月)が風呂の浴槽で溺れ死んでいるのを同家のお手伝い・Y子(当時17歳)が発見した。警察が急行し現場の捜査を開始した。
Y子は「工員風の怪しい男を目撃した」と証言するが、現場は荒らされておらず物取りではないこと、Y子の証言が曖昧であることなどから警察は厳しくY子を追及。同日の昼過ぎ、Y子は道夫ちゃんの殺害を自供した。
Y子は犯行動機に関して、「道夫ちゃんが生まれる前は、自分は高島夫妻から大変可愛いがられ大事にされた。が、道夫ちゃんが誕生すると道夫ちゃんの面倒を見る看護婦(当時29歳)が高島家に来るようになり、高島夫妻は自分を軽んじているように思い込んだ。
そこで、道夫ちゃんが居なくなれば看護婦も高島家に来なくなると思い浴槽に沈めて殺害した」ことを自供した。
犯行当日も高島夫妻は渡米前で、この看護婦に「お土産をどっさり買ってくるからね」と声をかけているのに自分には何も言ってくれなかった。そこで、失地回復への焦りと゛ねたみ゛から犯行におよんだ。Y子は計画的で、偽装工作に怪しい男をデッチ上げ、これまでに数回、近くの交番に警戒の依頼をしていた。高島夫妻のショックと落胆は言うまでも無い。
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